最近私物化しているのではないかと思うセンターのブログ。
あの衝撃から半年経ち、そしてもう片方は10年経った。
まず、半年。
その日の15時過ぎから職場のテレビが付きっぱなしですごい災害が起きたなぁと呆然と眺めていた。
でも、その日はこんなことになるとは思ってもおらず、日本国内で起きたことだけど少し遠いところで起きたので、従妹は心配だったけど実感はわかなかった。
半年過ぎてもまだまだどうにもならない。
地震とそれによる津波の被害だけでも大変なのに、予想しなかった原発の問題もある。
私たちボランティアセンターとしては、できることは限界があるのだけれど、ずっと気にかけていたいと思う。
余談だけれど、テレビで「ボランティアの人たちもこんなに長期間いるのには限界があるので、資金的にも少しでも援助できるような仕組みが…」と言ってたけれど、それならば小額でもいいので地元の人の雇用につなげられないものだろうか。
それがいいのか悪いのかもわからないのだけれど、雇用と地域の活性化はこれから重要なのではないかと思う。
そして、10年。
ちょうどこの時間くらいからテレビの映像に釘づけになっていた。
あんなことが起きるなんて思ってもみなかった。
筑紫哲也さんがしゃべってたのを思い出す。
でも、この10年前の記憶に鮮明に残っているのは西南豪雨。
この職場に入って半年足らずで起きた災害。
土佐清水や大月でかなりの被害が出たとわかった日の夕方には主要メンバーが集まり会議を行い、それぞれ被災地に入って行くのを決めていた。
その迅速さを目の当たりにして、やはり高知豪雨を経験している人たちはすごいと思った。
その時も、後方支援を担当して中谷さんの手伝いを見よう見まねでしていたので、情報発信の大切さなどを学んだ。
このころも精神的にやさぐれてたなぁ…。
現在所長の間さんも主に大月担当で入っていた。
ある人のTwitterに10年前の水害の被災地社協から電話があったっていうのを見つけた。
あー、なんかいまだにつながってるんだと思って、嬉しくなった。
って勘違いじゃないですよね。
いろいろ大変で困難があるけれど、つながりって大事。
つながりといえば今年の
こうちボランティア・NPO支援基金交付団体の募集のテーマも確か…。
そんな私、今週もまた仕事以外でのつながりを実感するために休みが増えてしまうかも…